神との対話

キリストについて
 四国剣山での岩戸開きは、キリストエネルギーの解放のワークともいわれています。
キリストエネルギーは、宇宙に満ちており、人間の中にも存在していると言われていますが、まだまだほとんど使われていないために、人間の魂のめざめが遅れています。
 弘法大師空海をはじめとする、光の担い手たちが守って来た封印を、解く時期がやって来ました。
結界を解放し、宇宙からキリストエネルギーが十分にそそがれるようになると、地球のチャクラ・エネルギーグリッドの流れも良くなります。
 そのさい、愛と光のエネルギーの受取り手(器)となる人間がたくさん必要になります。
遠隔ヒーリングでは、参加者のみなさんにその光の担い手となっていただきたいのでした。そして、おひとりおひとりが、この壮大な宇宙のアセンションの物語のキャストとして、名を刻んでいただきたいと思っております。

[キリストとイエス](2008.6.9)
 キリストエネルギーについて、いろいろな説があるようなのだが、ここではあえて語らず。
私が覚えているかぎりの話を簡単に書いておきたい。
 私はキリスト教の洗礼を受けたことがあるので、それを一度受けると、教会を離れても魂はキリストと共にあると言われた。
本当かどうかは知らないが、ものごころついた時には「すべての闇を照らせ」というメッセージが来ていたし、もともと自分はキリストエネルギーやルシフェルと仲良しだったのだから、今回の人生では必然的に教会と出くわしたのだとも言える。
 ここでは、参考文献として遠藤周作の「イエスの生涯」がお勧め。
 イエス(ジーザス=ヨシュア)とキリストについて、私が知っていることを整理して、キリストエネルギーの本質を表現したいと思う。
 このスピリチュアルな時代の日本では、当たり前に感じるかもしれないが、キリストエネルギーやキリスト意識が地球上で言葉になり行いとして根付くには、人間イエスの存在が必要だった。
キリストとメシア(救世主)は同義語で、本来の意味は「香油を注がれて聖別された人」
古代ユダヤ国家(イスラエル)のヘブライ語ではメシア、ギリシア語でキリスト。

 当時の古代イスラエルでの「メシア=キリスト」の使われ方は「宗教や精神性を使った政治的民族革命家」であり、宗教的精神的指導者。
 特に、イスラエルが軍事占領国家ローマから民族独立をするために、革命(暴動)の首謀者になってくれる人を表していた感がある。
・イエスについて;
 死海のクムラン教団が保持していた古代の修行を学んだ
 おそらく、今で言う「引き寄せの法則」や瞑想方法も指導されている
 チャネラーでヒーラーはあったが、念力の使い手ではなかった(ユリゲラ−程度)
聖書などに描かれたイエス像で一貫しているのは、誰にでも分け隔てなく関心(愛)を示したその姿勢。
貧しいものにも、病んだ者にも、特に誰からも愛されない(憎まれ見捨てられた)立場の者の所に率先して訪れた。
 聖書では数々の奇蹟の物語が華々しいが、奇跡を行ったり、病を治したという超能力的な話は、今でいうヒーリングを目撃した人の感動表現で、事実とは微妙に違うらしい。
 というのも、遠藤周作の「イエスの生涯」によれば、物質的な世界で無力だからこそ、その自己犠牲が重い意味を持つ、ということなので。
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 彼は、神の愛の伝導者であり、実践者。
 聖書や民衆や信者が奇蹟の物語に重きをおけば置くほど、イエスの存在意義から離れていく。
重要なのは、彼が人間にもできることを人間としてやってのけたこと。
超能力者・超人がやったのでは、人間が自分の力で(自分と神とのつながりで)救われないことになる。
 さらに、目に見える見返りを期待したのでは、見えない世界の存在を伝えられない。 
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 人がその友のために自分の命を捨てるほど大きな愛はない(ヨハネ福音書15-13)
家族や身内は、なんだかんだで自分に利となる場合もあるし、スピリチュアルな世界では魂のグループでもあるので 
 にもかかわらず、さらにイエスは、自分を裏切って十字架刑に至らしめた者達のためにも祈った。
 教えのとおりに、敵のために祈った。自分に唾を吐く人間のために祈った。
彼らの罪(宇宙の法則が解っていないだけ、神の存在を体験していないだけだということ)を許すと言い、神様に取りなした。聖書には隠されている記述で、それが表現されている。
 人間はエネルギーが足りないと悪い行いをする。奪おうとする。波動が下がって神の声が聞こえない。
そのことを学んでいたから、祈ってエネルギーが届くようにした。
 そして、最期は神への賞賛の歌(詩編22「神よ神よ、何故私を見捨てるのですか…」という言葉で始まり、最後に「私は神の名を告げて…人々の中で、あなたを誉め讃えます」と言う、賛美の詩)を唱えた。
 これは人間にできることではなかった。
少なくとも、みんなはそんな人間がいるとは知らなかったし、見たこともなかった。
 普通の人間、普通の予言者、それまでの宗教指導者たちは、自分の最後に必ず遺言を残し、裏切り者へは呪詛(神の罰を求める)のが当たり前だったから。
 しかし、イエスだけは違っていた。
裏切り者(この場合、自分の弟子ペテロ達も入っていた)の救いを神に願った。
---まこと、この人は神の子なり
と弟子達に言わしめたこの行為(許し)は、どんな奇蹟のエピソードより、弟子達にとって信じがたいものだった。
 聖書では英雄のように書かれているが、本当はもっともみじめな死に方をしていた(選んでいた)。
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 どんなに苦しくても、苦しいときだからこそ、神に感謝を祈ることが必要だと
神(宇宙)にゆだねることが必要だと
今でいう「引き寄せの法則」を知っていたからこそ、それを伝え続けた。
 革命のリーダーにされそうになって拒否したが、それはユダヤ人が本当に必要としているものではなかったから。
ユダヤ人が欲しがっていたものではあったが…。
 いつの時代もそうだ。
ユダヤ人達が反乱を起こしても、軍事国家ローマの兵士に滅ぼされ、かえってさらに民族的憎しみと罪悪感を強めて行っただろう。
 罪悪感の中にいる者は、永遠に罪悪感の火で焼かれることになる
 日本で精神革命を起こそうとしても、争いになれば、宗教団体や国家警察が介入して、結果的に「ああ、やっぱり無理なんだ」という絶望感にすり替えられてしまうようなもの。
 暴力や暴力的な行動では、愛と平和は創れない。波動が違うからだ。
それを学んでいたイエスキリストは、徹底して愛を表現して行った。
愛とは何か、神の愛とは何か、を実践して行った。
 神を感じられない人のために、心の弱い人のために、同伴者となり、
 神がわれわれを賞賛していることを伝え。
 宇宙の波動の法則を伝え。
 光の及ばない隅っこに、目を届かせて光をもたらした。
それだけだった。
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 当時のユダヤ民族も我々も、必要としているのは「自由・愛・平和」だが、欲しがっているのは(潜在意識がオーダーしているのは)戦って死んでさらに憎しみの連鎖を続けること。
 イエスは、欲しがっているものを与えるのではなく、本当に必要なものを与えようとしていた。この地球にもたらそうとしていた。
 罰する神による悔い改めではなく、許す神による悔恨の涙
 恐怖は怨恨を助長する。罰するユダヤの神による恐怖で悔い改めたのでは、さらなる恐怖の支配者を呼び込むことになり、また武力で侵略されることになる。
 許す神による悔恨の涙なら、浄化され、フィルタが外れればもっと高い次元との対話ができるようになる(平和を引き寄せる)。
 イエスは本気で人類を愛していたから、イルミナティの誘惑も拒否して、愛の手本を見せることに徹した。
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 イエスより500〜600年前、ユダヤ教やブッダの仏教が興った時代、地球に「神の愛」についてのエネルギーがやって来ていた。
 人間の中の罪悪感が、それを歪めてしまったが…イルミナティの策謀でもあるのでしかたがない。
 今は、イエスがしたように、陰謀者達も救ってやらねばならない。(彼らも役割なので)
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 イエスがキリストとしてどうしても伝えたかったこと。それは、神が我々を許しているのだということ。
神という呼び方が馴染まない人は、宇宙とか始まりのエネルギーとか呼び方は何でもいい。
 この世界は、なんだかんだ言っても、祝福されて造り出された。
この次元の世界は、幻だとか神のヒマつぶしだとか修行だとか罰だとか学びの場だとか…いろいろな使い方ができるけれど、言ってしまえば巨大なテーマパーク(ドリームランド)なので。
 そして、宇宙の中心のエネルギー(神)は、様々な次元と繋がっている。
向うのエネルギーとこちらのエネルギーは繋がっていて、影響しあっていて、テレビ受信機のようにパワーの強い方が現れている。
 地球なら地球の人類がやりたいと思っていることが、物質化することを許可している。
この世界が温暖化でピンチ?というのも、我々人類が選択したことが許可されているだけなので、もちろん選び直すことも可能。
 そういった情報が光として地球上に何度もやって来ていた。
なのに、そのたびに…波動の低い地球人が拒否したり、プレアデス星人の罪悪感のせいで歪められたり、最後はイルミナティのせいで、人間と神の愛は切り離されてしまった。何かあると、神が罰するという情報にすり替えられ、洗脳された。
 「自分が与えたものが返って来る」という法則があっただけで、神の罰はなかった。むしろ神は我々のすぐ隣で守ってくれていた。
 そのことを伝えに、イエスはやって来た。
神と人間との仲介者。
 アダムとイブに罪があったなどという言いがかりに対して、それを否定するために、正面から「それは違う」と反対するのではなく、神の愛を実践することで許しを教えた。
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[キリストエネルギー]
 キリストエネルギーと言われると、ピンと来ないのだが…定義を聞いていると、どうやらいつもの宇宙の究極の高次元のエネルギーのことらしい。
宇宙のエネルギー(素粒子含む)の持つ基本の振動数
すべてのはじまりから存在する波動
神の愛そのもの
新しい約束
神の愛の証明
労をねぎらい、荷を下ろさせる賞讃
調和 和解 止みを解く光
許しのエネルギー
無条件の光
承認 受容 変化を許可する
人類の同伴者
喜びの波動
すべての素粒子にわたって、その存在意義を照らし出す光
足立育朗氏の「波動の法則」でも、原子核の中性子には「意識」、陽子には「意志(愛)」が入っているという話。
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--ここで一つイエスの代わりに注意事項を伝えておきたい。
納得できなければ、それでよい。ただ、どこかに書いて残しておかなければならないので。
 自己犠牲は憎しみをよぶので、もうやらなくてよい。
 生け贄は、罪悪感をよび、感覚をマヒさせ、無責任な人をつくる。
 たった一人でももうイエスが実践したので、またやる必要はない。
人がその友のために自分の命を捨てるほど大きな愛はない(ヨハネ福音書15-13)に基づいているが、
厳密に言うと、イエスの行いは自己犠牲ではないかもしれない。(逆に厳密な自己犠牲かもしれない)
 宇宙的視野で自分と他を区別しない見方をした時、区別できなくなったとき、我々はゼロ地点 (十字架の中心)にいるということ。
 彼はそのことを学んでいたが、どうやって実践するのかを追求して生きていた。
別な言い方をすると、
 自己犠牲とは;誰かのために命を捧げる(死ぬ)ということではなく、すべてのために命を捧げる(生きる)
 ということだそうだ。
宇宙がすべて自分であると知っているからできることでもある。
右腕が痛かったら、左腕で倍の荷物を持ってあげるようなものだ。
 愛や感謝に基づいていないと、よくやってしまいがちな、身代わりとか独善的な行為になりやすい。
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---ちなみに、ルシフェルはさらにイエスの上を行く神の愛の表現者。
もっとも敬愛する神に裏切り者だと思われる立場を選んだ。
…どちらも神(愛)を信じていなければ出来ない行為。
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闇は光でできている
振動数でできている
今表現できるのはここまで。
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