ニューエイジサイトからの情報

以下は↓【肯定的意味付けゲーム】漫画サイトからのひとりごと
(〜2004年までの記事)です。〈文責/神代:光-こうじろひかる-〉
25.「自分とつながる」
願いをかなえたい時だけでなく、アイディアを出したい時、他人の心を察したい時、どんな時にも必要なことがある。それは「自分自身と、ちゃんと繋がっているかどうか?」
 こまかく言うと【潜在意識=未来の自分=神=宇宙=自分】というつながりを持っているかどうか。
自分と繋がっていない人は、他人とも繋がれないし、宇宙からのサポートも少ない。
 では、どうやったら自分とつながれるのか?(繋がっているとわかるのか?)それは、徹底的に自分を責めないことなのだ。
別な言い方をすれば、(自分で責任を負うかぎり)徹底的に自分を許すことでもある。
 自分を責めない考え方を身につけると、自然と「心の声」が聞こえてくる。
調和
24.「願いがかなう祈り方.3 まとめ」(天使との対話から)
ニューエイジ資料室の取材コメントコーナーに詳しい経路を記したが、今回、自分の守護天使から直接「祈り方」を習ったので、まとめを書いておきたい。
◆基本形は「感謝先取りの過去完了形」(○○が叶いました。ありがとうございます」という言葉で祈ること。
◆祈りの言葉は、じつは宇宙に対する「命令」なのだということ。祈りの強さに応じて宇宙からサポートが来る。 祈る内容と数は、自由。 宇宙のサポートは、無限
◆2種類以上の、方向性の違った「命令」は、時間がかかる。特に、感情的に強く思っていること、いつも思っていること、が叶いやすい。
◆不安も、「命令」のひとつとして、現実化しやすい(叶いやすいので、注意)。
◆不安は、言葉にしてみてから、プラスの言葉に直すと、現実化しない。神棚や、占い師に丸投げしてもかまわない。カミサマは、人間の不安を引き受けるために、存在している。
◆悪いことを考えている時は、カミサマからは見えないので、バチは絶対当たらない。が、宇宙からのサポートも来ないので、うまく進まないことになる。
調和
23.「2つのベクトルが交わるところ」
ベクトル→「矢印」=方向性についての、松居先生の話。
3つのベクトルがまじわる所は、なかなかないが、2つのベクトルが交わる所なら、この宇宙にはたくさんある。
例えば、「売れるもの」と「創りたいもの」が交わる所は、探せば必ず見つかる…と言っていた。
 ちなみに、“3つのベクトルが交わる所”については、チャネリングのバシャールの言葉がある。
「やるべき時に、やりたいことが、できること」が本当の幸せであり、
真の豊かさとは「する必要がある時に、する必要のあることが、できる」能力、なのだとか。
 私は、この3つのベクトルが交わった時、ものすごくハッピーな奇跡を体験した。
22.「願いがかなう祈り方.2」(「神との対話」サンマーク出版から)
10の「私の祈り方(笑)」の後、わかった事を追加。
何かを祈る時、祈る言葉は「命令」であり「実現(具現化)するだけの力を持っている。
なので、ここで気をつけたいのは、言葉の使い方だ。
「私は成功したい」と祈ると“成功したがっている私”が実現してしまう=つまり、まだ成功していない状態が続く…ことになってしまうという。
「欲しい」と祈ると“欲しい状態”を経験することになる。
願いがかなう祈り方は、「私は成功している」や「すべては成功に導いてくれる」などの言葉で、そうなることをすでに知っていて、感謝して(喜んで)いる自分という状態で言葉を使う必要があるのだそうだ。「成功しています。ありがとう」で“成功を感謝する自分”が実現する。
21.「基本的考え方.2」
「この世には、“ある”と“ない”が同時に存在する」と恩師の松居桃樓おじいさんが言っていた。
つの相対するものが、同時に存在しているのだ。そしてそれが“完全な形”だとも思う。
この言葉が理解できる人は、少ないかもしれない。
しかし理解できる人なら、何か1つを見ても、その反対の物を想定して考えることができるので、危険が少ないのは確かだ。
ちなみに、「優勝・劣敗」「柔よく剛を制す、剛よく柔を断つ」など、中国の故事や日本のことわざには、必ず“対”があったので、片方を覚えていれば足りたのだった。

ページのトップへ戻る

20.「善と悪とをわけるもの」
アダムとイブは禁断の木の実を食べて、楽園を追放されたことになっている。
よく「智恵の実」と言われるそれは、正確には「神のように善悪を知る実」と書いてある。
 しかし、善悪の区別は、時代で変わるもの。立場によっても変わってしまう。そもそも物事には善悪の区別はなくて、そう定義する人間が決めたことなのだから、何かを善と悪とに分けた時から人間の苦しみが始まった(楽園の追放)とも言えるのだ。
もちろん「悪」と呼べるものはあるし、“神のように”完全な善悪を知れば良いわけだが。
苦しみですら、不幸かどうかは本人の選択にかかっている…。
19.「人命は地球と同じくらい重い」
巷でよく「人命は地球より思い」という言葉を聞くようになった。
命の大切さを唱える言葉だが、使い方を間違えると危険な気がする。
「地球が人命より軽いなら、人類のために地球が無くなってもしかたない…」と言っているようで。
「地球がダメなら宇宙に植民すればいいや」と言える感覚かもしれない。
もちろん、スピリチュアル的に、魂の永遠性を信じての発言なら納得もできるが…。
せめて、「人命は地球と同じくらい重い」と言ってほしい。この場合の人命は、先進国の人命のことに限定されてはならない。だいたい、国境が無くなれば、食糧問題もなくなるのだから。
18.「緊急提言!失業者に告ぐ」(「才能の方程式」の紹介-LCSの勉強から-)
この不況で、失業者の数は年々増えているが、もっとも深刻なのはリストラされた中高年層よりも一度就職したが会社と合わず、人間関係などで疲れた「社会的引きこもり」による失業者の方だ。
 彼等は、甘えているわけでも依存し続けたいわけでもなく、どうしていいか解らないだけなのだが。
そこで、「ライフカウンセリングサービス」の必殺技!「才能の方程式」を紹介したい。
「自分の長所(能力)」×「好きなこと・夢中になれること」×「夢・願望・本当にやりたいこと」
=「特別な才能」
ピンと来る人は、すぐにでも使ってほしい。「特別な才能」で生きれば、豊かになれる。
 人は誰でも「自分らしい仕事・役割」を果たして生きようとする社会性がかならずある。
引きこもったとしても、そこで何らかの役割をはたしているし、心の底ではもっと自分らしい方法がないかと悶々としている。遊んでいるように見えるのは、悶々とした感情を紛らわせているだけだ。
「才能の方程式」は、我々を本来の自分の生き方に戻してくれる。
もし、“自分には、長所も夢もない”と思っていても大丈夫。見つけましょう。相談にのりますよ!
カウンセリング料金を頂くのは、本気になってもらうため。おっと「ひとりごと」のはずなのに…。
17.「人生の目的」
人生の目的は、「冒険感動楽しみ愛を表現すること」だった。
私は永いこと「悟ること」や「平和や安定」だとカン違いしていた(笑)。悟った先があることや、平和と安定が後に退屈になることを感じながらも、無秩序な世界が許せなかった(若いな〜)。
 でも、ようやくこだわりが解けた今、(平和を尊びながらも)書いておこうと思う。
この世は「感じるため」の世界。「表現するため」の世界。だから“感じること・表現すること”をやめようとすると、病んだり死にたくなったり壊したくなったりしてしまう。
そんな当たり前のことを、知らない自分がいた。
それまでは「理想の人物像」を描いて、それになれれば仲間から愛される(尊重され)、やりたい事ができると思っていたのだ(汗)。まあ、苦しい時そういうカン違いをする人は少なくないと思うが。
 桃樓おじいさんは言った。「滝に打たれて修行しても、街に戻ってもと通りなら本当の悟りじゃないあなたは漫画家なのだから、マンガを通して修行なさい」と。
この人生で応用できること、この心身を通してできること、大小を問わず。それならもうやっている。
16.「“神”の定義」
「神さま」「創造主」「光」など、さまざまな呼び方をされ、さまざまに表現されるそれらを、ここでは「宇宙の法則」と定義したい。
日本では神を「天」とも言うが、「仰ぎ見るもの」と同時に太陽系や宇宙のことを指しているともいえる。
神(天)に逆らうというのは宇宙の法則に逆らうことだから、神にさからうと滅ぶのもあたりまえということになる。
 宇宙が1つでないとしたら他の宇宙の法則もあるかもしれないし、時代文明や人種によって法則の活用が変われば、神の姿(投影される対象)も変わるだろう。
ひとつであって、ほかの全てでもあるだろう。
 宗教は「宇宙の法則」を人間が応用するためにできたのではないか。というのがここでの見解である。
ちなみに、よく自分が言う人格神や「マンガの神様」「〜の神様」等と使う時は、“神聖な領域”を指しているだけなので、あしからず。

ページのトップへ戻る

15.「長所を見れば、才能がのびる」(-カウンセラースクールの勉強から-)
「ひとりごと13」での、なぜ「存在そのものに意味があるのか?」を詳しく言うと...
ヒトにはそれぞれ能力(才能)が与えられていて、それは他人と違うため点数で比較できない。
旧約聖書に出てくるタラント(タレント=才能の話では、神から与えられみがいて活用するものだと言う。死んで天国に行った時、神様に「あなたはどういう才能を発揮して、自分や他人を幸せにしましたか?」と聞かれるらしい。
生まれた時から「何かの才能」を持っているので、「存在に意味がある」ということだ。
でもそうなると、犯罪者の場合はどうか?と思う人がいると思う。
実は持って生まれた能力は、プラス面で見ると「長所」マイナス面で見ると「短所」にされるだけなのだ。同じものを表裏で見ているだけなので、長所として使えば短所は減り、短所としてこだわるとストレスを増やしてしまうので、悪化してしまう。(特殊な病気を除いて)
「おしゃべり」は「たくさん話のできる」才能、「引っ込み思案」なら「慎重さ」の能力が高いと言える。「引っ込み思案」が助長されるのは、短所として攻撃された時だ。
欠点でさえ長所に換えて楽しむか、自分や他人を責めてハブに噛まれる方を選ぶか、選ぶのは自由。
14.「人は楽しむために生まれてきた」(厳密に言うと「感動するために生きている」)
悩んだり、苦しんだりすることが多いと「この世は苦しみだ」とか「前世の罰を受けている」と言う人がいるが、実は人間は「楽しむため」に存在していることが証明されている。
 心と身体が一体だということは、ニューエイジでなくても一般に知られるようになった。
良いことを考え、楽しいこと好きなことをしていると、良いホルモンが出て身体も活性化する。
逆に、責める・恨む・悔やむ、では毒性のホルモンが出て身体を蝕む。その毒性はヘビの毒の次に強いというから、我々は悪いことを考えるたびに、ハブやマムシに噛まれていることになるという。
それでは、長生きできない =この世に長く存在できない。
 つまりこの世に存在するためには、「楽しみの多い状態」でなければならない。
だから「生まれてくる」ということは、「楽しむため」と言えるのだ。
 愚痴をこぼす人でさえ、その不幸を楽しんでいる時がある。
13.「存在することに意味がある」
もし、人生の目的について考えていて、壁にぶつかったら---。
 聖書の中での神さまは「私は、“有って有る者”だ(エヘイエ・アシェル・エヘイエ)」と名乗っていた。
この「有る」は、動詞「存在する、創造する」から来ている。
「有って有る」とは、変な日本語だ。「存在そのもの・創造そのもの」ということではないか?。
でも、初めからあって、今もこれからもずっと存在し続ける...というのは何だろう...。
ある日、自分が「存在そのもの」を実感した時、出てきたのは「“まず、ただそこに(自分が)存在する”それだけで十分な意味がある」ということだった。それを感じたら、おのずと自分の使命(のようなもの)が出てくる。「これがやりたくて生きている」とか「このために生まれてきたな」とかいうものが。 
今・ここに・この状態で・有る、ということに意味がある。それを、実感することが出来たかどうか。
世のため、ひとのため...などと言う前に、もっと大事なものがある。
12.「世界が変われる理由」
全世界的に「民族」の感覚が意識されてきて、混乱による不安感が広がりつつある今、世界が良い方向(平和・心の満足)に向える希望を紹介したい。
1.80:20%の法則...組織を動かしているのは、トップの20%の部分(人間)という説。
2.10%(1割)の法則...集団の1割が変化すると、残りの変化が加速される。
3.100匹目のサルの法則...ある種族(実際はニホンザル)の中で、イモを海水で洗って(塩味で)食べるという文化が始まり、その集団にほぼ伝わった時、それまで全く交流のない遠隔地の同じサルに同様の文化が生まれた。
4.60億の数字の話...人体の細胞総数は約60兆個。そのうち「脳」の細胞数は約60億個。地球を1つの生き物として見た時、60億人いる人類は「地球」の脳の役割を担うことができるのでは?という考え方。
-例えば-...60億人の1割(6億人)のうちのトップ20%(1億2000万人)が目覚めたら、それは距離に関係なく地球全体に行きわたる...というのは夢でしょうか?(笑)。
11.「“天国”って何だ?」
「天国」という場所は死後の世界として有名だが、キリスト教典などでは「地上の天国」という言葉がよく出てくる。つまり、イエスという人はこの世に天国を創ろうとしていたらしい。
では、天国とはどう言う場所か?
答えらしきものが、映画「フィールド・オブ・ドリームス」で語られていた。主人公の父親いわく「天国とは、夢がかなうところ」。
何処でも“夢がかなう所”が「天国」なら、確かに地上にも天国が創れるというわけで、「夢」をかなえた人が増えれば、そこが天国になる。...「夢」は意識や無意識のひとつの形。
今のところ「世界平和」を望む人の夢より、「恐怖と混乱による支配」の夢が先にかなっているかも...

ページのトップへ戻る

10.「私の祈り方(笑)」
俗に言う“苦しい時の神だのみ”。カミサマがいるかどうかは別として、自分を鼓舞することにも使えるので、仏壇や神棚に手を合わせる人は多いと思う。
でも、ちょっとした祈り方の違いで効果が変わることは、あまり知られていない。ので、ここで紹介!
基本姿勢は、「本来のあるべき自分の姿になれるように」「才能を存分に発揮して、豊かになる自分」...のために、願いごとを唱える。(お金・時間・人材・地位・その他の道具・道・合格祈願 etc.ほしいものは何でも祈って可。ただし、自分にない才能や不幸になる財は、手に入らないので御注意)
 そしてポイントは「そのための情報や道やタイミングが示されたとき、『これだ』とすぐわかるようにして下さい。自分が素直に納得できる形でしめして下さい。(怖がったり、嫌だと思うと進めないので)楽しい形で見せて(わからせて)下さい。」と付け加えること。
 こうして祈ると、道がすぐわかってお得なのだ。...えっ?都合よすぎないかって?でも神様や潜在意識に“都合”は無いし、バチは人間がつくった価値観なので、「宇宙の法則」に合っていれば大丈夫。
9.「“自殺”をする前に...」
「自分を殺す」ということの善し悪しは、このさい脇に置いて、心理分析をすると...
自分を殺すというのは、自分を壊すことの究極の形だ。私は「子供のいじめは、社会の問題。自殺は家庭(一族)の問題」だと思っている。(大人の場合は、信念の問題と情報不足)
 自殺は、心が落ち着ける場所がこの世のどこにもなかった(と、本人が思っていた)ということだからだ。その意味では“究極の自己主張”ともいえる。
人は変化(成長)する。その成長に合わせ、環境も変える必要がある。だが、いろいろな問題から、自己の変化に合わせて環境が変えられない(と、思い込んだ)場合、自分が変えられるのは自分の「行動」だけになる。つまり「独立し、外に出る」となっていけば良いのだが...現代の家族のつながりは依存型が多いため、独立できないことも多い。
そうなると「物を壊すか、他人を壊すか、自分を壊すか?」という狭い選択肢に追い詰められてしまう。
 一番安易な選択は、物を壊すこととなり、自分より弱い相手を見つければ、人を壊す。そして、もっと追い詰められると、自分を壊す=「自殺」となる。
だが、本当に壊したかったのは「世の中」でも「見知らぬ人」でも「自分」でもなく“自分が一番甘え、従っていた人物(親)との依存関係(+親からの価値観)”だったはずだ。
「破壊」は「創造の第一歩」だから、上手に壊せば、新しいものが造れる。
ちなみに、スピリチュアルな世界では魂の輪廻を信じているので、自殺するととても後悔するらしい。せいいっぱい生きて「愛」を表現することが、人生の目的なのだそうです。
8.「悪はどこから来たか」
「悪」とは「マイナスを否定すること」である。恐怖や憎悪や否定的な観念や破壊などの、一見扱いにくそうなエネルギーを、あるべき所に使わないために起こる状態(否定的なエネルギーの否定的な循環)が“悪”の正体だ。
 悩みや苦しみの大半は誤解と情報不足からでてくる。それは(逆に)「答えを見つける旅」という楽しみを生み出してもいるが、現在この事実を伝える場所は少ない。学校、宗教でさえそのことについてハッキリとふれていないため、人は不安や恐怖を持つこと自体を不安と感じてしまう。
しかし、一般にマイナスと呼ばれる力も、使い方が正しければ役に立つと気づいている人間は多い。
マイナスエネルギーの存在を否定したために、コントロール不能になり、そこから起こる不安のためにより大きな恐怖をかかえる...「悪」は、そこからやって来た。
“恐怖”の表現は“暴力”(攻撃的)だから、民族の不安は戦争を呼ぶし、子供の世界の不安はいじめを助長する。ただ、それだけのことなのだ。
そもそも、何万年を経ても人々の心に、明日の衣・食・住の不安がつきまとっているのだから、世の中(人類)が戦争好きになるのはあたりまえである。
映画「コンタクト」(原作カール・セーガン)の中のセリフ、「地球人は、宇宙で孤独を感じている」のも我々を攻撃的にさせる一因かも知れない。
7.「“恐怖”が知らせる境界線」
全てのマイナス感情(怒り、暴力など破壊につながるもの)の、もとになる「恐怖」とは何か?
ご存じのとおり、もともとは「抑止力=ブレーキ」として、生き物を危険から守るためにあった。
 人間は、好奇心が強く快楽を追求する生き物。どんな苦しみや、状況も快楽に転換することができる。
恐怖心は、そんな人間の欲望を制御する“心と行動の抑止力”なのだ。肯定的に使えば、アクセルに対するブレーキとして、スピードをコントロールすることができる。
“恐怖”は「自分の力で対処できるか、否か?」の境界線を教えている。距離・量・質etc.の「危険ゾーン」に入ることを知らせる大事なセンサーなのである。
たとえば、孤独になると人は「不安」になるが、その軽い恐怖が、他人との距離の遠さを「危険」と知らせているだけなのだ。
しかし“恐怖”を否定的に扱ってしまうと→恐怖自体を恐れ→コントロール不能に陥り→暴走の危険性に怯えることになり→罪悪感→自己否定→破壊衝動→恐怖が強化される(又は、他人に投影される=敵に見える)...というマイナス循環を生むことになり、とても危険になる。
ちなみに、“恐怖”の本当の使い方は?というと...
恐れ=情報不足の知らせ→情報(光)を集める→コントロール可能な状態を保つ→安定→変化(冒険)を求める→恐れ=情報不足...という循環を作ることである。
もっとも、恐怖を楽しむ場合は別...?

 ページのトップへ戻る

6.「“暴力”はおびえの表現」
怖い思いをすると、動物は攻撃的になる。暴力は、力が余っているから起こるのではなく、心の叫びを上手く表現できない時の一番速い表現方法なのだ。
恐怖やおびえが怒りを呼び、それを打ち消すための反動が“暴力”となる。自分の立場が(心身どちらでも)危機に瀕したと感じた時や、バカにされたりムダにされたという無力感があると、まず怒りが起こり、冷静な対処ができないと暴力になる。
 一方で、怒りを無視したり我慢しつづけ、無感動(感情マヒ)になり、無気力になった時も、心(本能?)は叫び声をあげているので、表現は暴力となる。この場合、本人は感情が麻痺しているので怒りを認識していない。
病気や、自分のカラに閉じこもる形の場合は、暴力の表現相手を「自分」に設定している。心の病気になるのは弱い人ではなくて“攻撃性”のある人だとわかるだろう。
...暴力を使う人は弱い人なのだ。互いの認識の違いに関係なく、本人は「不安」の中にいる。
 ちなみに、いじめっ子というのは、家族の中で解消できない不安(恐怖)を心に持った人間なので、よく調べてみてほしい。つまり、いじめは防げるということだ。やる気があれば、だが...
5.「“怒り”について」
感情の中でも「怒り」というのは、とても大切なものだ。「怒り」は「心の痛み」であり、心が傷ついたことを知らせる信号なのだから。
「攻撃」を受けた時はもちろんのこと「自分をないがしろにされた」と思った時「努力したことがムダになった」時など、人間が「存在の危機」を感じた時に、心の痛みを“怒り”として感じる。
傷だから、丁寧に診てやらなければいけない。無視したり、我慢しすぎたりすると治りにくくなる。
一方で“ただの信号”の“怒り”に執着するのもいただけない。怒りのエネルギーは強いが、身体に毒となるホルモンを出すので、健康を害するからだ。
すぐ分析して、うまく手放す(発散させるor相手に返す)ためにこそ“修行”は存在した。
4.「男は強く、女は優しく...の意味」
女性は、遺伝子の中で生命維持をつかさどる“X”を2つ持っているので男性にくらべ生命力がある。
ある気功師の話では「昔から、男の子は弱い(デリケート)だから『強く、逞しく』と言って育て、女の子は強いから『優しく、優しく(+賢く?)』と言って育てた。そうしてバランスを保った」のだそうだ。
...ところが今や“男は強いもの”“女は優しいもの”というカン違いが生まれてしまった。
情報が本質を離れると、受け手は苦しむことになる。...やってみて苦しいことは、本質からズレているという知らせかもしれない...
3.「“終末論-しゅうまつろん-”との戦い」
「終末論」とは何か?一言でいえば「脅し(恐怖)によって、相手から財産を奪う手法」のこと。
最も多く使われるのは「経済」と「宗教(予言)」で、“今、買っておかないと、いつ手に入るかわからない”とか、“世界の終末が来るから、今までの悪い行いを悔い改めないと(反省しないと)地獄におちるぞ”と言うのがそうだ。
 反省するのは良いことだが、問題は「罰が恐くて反省させられる」という点だ。ウェインバーグの法則では、脅しに弱い体質を作っていることになる。自分が相手に与えた影響を知って、その責任をとるのが本当の「反省」なのだから。
そして「終末論は」恐怖に混乱した人々の財産を巻き上げていく。巻込まれたい人は、かまわない。が「終末論」を大声で唱える人物こそが、一番 何かを恐れている人だということを忘れてはならない。
...ま、「預言」というのは“一種の〆切り”なので、怠け者には役に立つのだが...
2.「福音=よい知らせ」
アニメ「エヴァンゲリオン」にも使われたEvangelエヴァンジェルという言葉は、キリスト教典「聖書」の中に「福音」と訳されている。英語で言えば「Good News」...つまり“良い知らせ”のこと。
現実にはキリスト教徒にとって都合のよい話のことだが、開祖のイエスの真意を汲むと、人類いや「地球全体にとってメリットがある情報」として使いたい。
 ある教会の牧師さんが「福音を述べ伝えよ。相手に受け取る器がないときは、自分に返ってくるから」と言っていた。つまり「良いものは、みんなで分け合おう。相手が要らないと言う時は、自分に戻ってくるだけだから心配ない」ということなのだ。
だとすれば、自分に返って来ては困るものは、福音では無いと言うことか...
1.「基本的考え方」
恩師の松居桃樓おじいさんが取材の時に言った言葉「人間が考えられることは、みないつか実現する。
時間がかかっても、いずれ創り出すことができる。要は、考え方を生み出せるかどうかだ」と。
確かに飛行機は飛び、月にも行けた。それどころか神話の世界まで、科学で創り出せるようになった。
(キリスト教の例えで申し訳ないが)“聖母マリア”の処女受胎は、後に書き込まれたもので事実ではなかった。しかし今の医学なら、処女受胎は可能。マリア様が何人もつくれてしまう。アダムのろっ骨説も、今後のクローン技術でイブを創り出せるはず。
...となれば、地球の平和や人類の幸福も、考え方さえあればいずれ実現する可能性は高いと言えよう。
ページのトップへ戻る前のページへ